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自分の幸せ、誰かの幸せ

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今年一年も終わろうとしている。 今年を表す一文字『災』。 私にとっても決して平穏な一年では なかった。 親父が亡くなった。 親父が亡くなったんだ、という事実は 日を追う毎に私の気持ちの中で、 ゆっくりと重みを増してきているような 気がする。 でも親父は自分がいなくなった後に 残された家族の事をしっかりと考えて くれていた事がわかってきた。 だから私は自分の事を不幸だとか、 可哀想だとか、決して思うまい。 『そっちの居心地はどうね?』 自室の遺影に話かけてみる。 答が返ってくる事はない。 でも何かしら傍に寄り添ってくれて いるような気配がする。 親父の葬儀が終わり、帰京して一冊の 本のタイトルが目を引いた。 伊集院静氏の著 『誰かを幸せにするために』 伊集院氏の本というと一見平穏な内容 から読者の感情を激しく揺さぶる一節が 突然表れるという印象を持つ。 この本もそうだった。 泣いてしまった。 私の魂が揺さぶられたその一節を ここで紹介したいと思う。 曹洞宗の和尚と伊集院氏が、 幼き頃亡くなった伊集院氏の弟の事を 語った時の会話を綴った章である。 ------------------------- 生きていれば (略) 「もうひとつ死んだ者が夢の中で1度も  まだ出て来ないんですが、  自分が薄情だからでしょうか?」 「そりゃちがう。イイ寝方ができとる  だけだ。」 「熟睡してるって事ですか?」 「そりゃ、わしにはわからん。ただ  ひとつこういう考え方もある」 「何ですか?」 「おまえはやさしい兄貴だから、  弟さんは気遣って出んのだろう」 「気遣ってですか?」 「そうだ。夢に出てみろ。  たいがいの人は目覚めて悲しむ。  女、子供だったら涙を零す。  そういう思いをさせたくないからだ。  死んだ人は残された者のしあわせを  祈っとるものだ」 「・・・・」 (略) 人が人をしあわせにできるのかどうか は正直私にはわからない。 ただ、この世で生きている時に出逢った こと、それだけで十分に価値があったの ではと私は思う。   ------------------------- 来年も良い年

くちコミ

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先日、咳が出だしたら止まらなくなり、 柏の大病院に行き、簡易とはいえ 『念のため胸のCT検査受けときます?』   で、 出てきた診断結果が 肺気腫 。。 ちと目の前がクラ…ときた。 でも今やネットで大抵の事は調べられる 時代。肺気腫の症状を見ると、 呼吸困難になる。 身体を動かすと息切れする。 。。ん?。。 自分はそんな症状は一切無いんだけど。 で、google検索して自宅近くの内科 (呼吸器科)の病院を見つけて診てもら った。 診断の結果、 肺気腫の兆候は全く見られないとの事。 『肺気腫になると、何よりもまず、  呼吸を吐き出す力が弱くなるんですよ。  正常そのものです!』 良かった!。。 でも大病院のCT検査で何かが写ったのは 事実。今後気をつけていくに越した事は ないと思いました。 で、、 ここから話が本題? そこの病院で診てもらった男の先生が、 えらく男前の格好良い若い先生だった。 問診で細かく丁寧に話を聞いてくれる のはいいのだが、 じっ… と見つめられると少し どぎまぎ ?。。 『まあ、病気の疑いも晴らしてくれたし  地方の町病院だし、、  ちょっと口コミでも投稿してみよう  かな。』 で、 それから2週間を過ぎたある日の事。 Googleマップからこんなお手紙が 届いた。 おやおや。。 130人も何をキーワードにして 私の口コミにまで到達したのだろう。。 でも『高く評価されています』とか 『人気です』と言われると嬉しくなくも ない。 ここのブログのひとつの記事に対する閲覧者 数のおよそ30倍。 でも塵も積もれば何とやらで、このブログも 総閲覧回数は8,681回に至るのだ。 #自慢か?。。 更に後日、 『ローカルガイドになりませんか?』 と来た。 で、なってみた。 けなすような内容の口コミ投稿だけは しないようにしていこう。 目にした方が少しでもhappyになれます ように。 うーん、、やっぱりそっくり。。

箱根の思い出

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ネット上でたまたま箱根の山の写真を 目にした。 思わず懐かしい過去を思い出す。 もう何十年前になるのだろうか。 親父が展覧会の審査員として上京して きた折、箱根の強羅温泉に連れていって くれた事があった。えらく高級そうな 歴史深い趣のある宿だった記憶がある。 その温泉宿に向かう途中、 箱根山が綺麗に望める場所にスケッチに 連れていかれた。 親父がやおらスケッチブックを取り出し さらさらと山の輪郭を描き、、、 水彩絵の具でさらさらと色付けを始め、、 へえ~ 、 、と感心している横で、 『おまえも描けば?。。』 と描かされた。 その時が学生時代以来、初めて絵筆を 手にした機会だったような気がする。 目の前に広がる広大な景色とは似ても 似つかない風景画。。思っていた以上に うまく描けない自分に呆れてしまい、 途中から半分ヤケな気持ちで描き殴って いたような記憶がある。 その時に描いた水彩画だが親父に 言わせると 『色の使い方がウマイ』。。 自分ではあまりそうは思っていません が、そうだったんでしょうかね。。 親父なりに息子の背中を押してあげた かった一言だったような気がする。 山そのものの形がへんてつもない のっぺり、、とした形の山である。 描くのは敬遠しがち。。 でも時を経て目にすると感慨深い思い がわいてくるから不思議だ。 そのネットに載っていた箱根山を スマホで見ながら久々に水彩で描いて みた。 さらさらっ、、と描いたは良いが 『あの頃よりも下手になったかもね。』 と言われそうな気もする。。 『どうなのよ?』。。 もう答えが返ってくることはない。 でも自分の趣味には定着した気がする。 まだまだ自己流。 これからも前進あるのみ。

抽象画を描きたいのに。。

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過日、従兄からのリクエストで 『抽象画を描いてくれんね。』 と言われ、、 そういう趣向の絵を描こうと思ったのに 結局、こうなる。。 私には多分そういうセンスは逆立ち しても無い。。 桜島(水彩) 箱根山(水彩) 敬愛なる竹留先生の模写(水彩) 本日2枚目。 竹留先生、ごめんなさい。 チャンネル間違い。。? ま、いいか。。

最期の4日間の記録

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親父と過ごした最期の4日間。 早くも記憶が断片的で曖昧になりかけて いるので忘れない内にその4日間の出来事 を書き留めておきたいと思った。 #これで親父の事を書くのは最後にしよう  と思う。。 =10/15(月曜日)= PM21時過ぎ  親父が入院している病院に到着。  裏口のインターホンで名前を告げて中に  入れるようにしてもらっていた。  宿直の看護師の方に親父がいる個室の部  屋まで案内してもらう。  既に意識が無い親父との無言の対面。  看護師の方と親父を目の前にしていくつ  か話をした。  『意識が無くなったのはいつから   ですか?』  『先週の金曜日の夕方からですね。。   それまでは普通に。。』  意識は無いが容態は安定しているという  話を聞いて病院の集会室に用意された  簡易ベッドに案内された。  幅が窮屈だったがそれ以外は何の不満も  なく。  親父の様子を暫く見守ってから、  その日は東京からの移動で疲れた事も  あり23時前にはベッドに横になった。 =10/16(火曜日)= AM3時頃  横になってから、わずか4時間後の事。  看護師の方の急を告げる声で目を覚ま  した。。  『脈拍が下がっています。。』  病室までフラフラしながら向かうと  宿直の先生も来ていた。  『酸素マスクがずれたようですね。   マスクを着け変えたら数値が安定   してきました。』  その後、看護師の方が親父の枕の位置  を変えている時、親父が目を開いた!  しかしながら意識がある目ではなかっ  た。瞳孔が開いており、目の前の光り  にも全く反応が返ってこなかった。  4,5分後、再び目が閉じられた。。  以降、何事もなく。  自分はベッドに戻り再度就寝。  AM6時過ぎには起床。。 AM11時  家族揃って担当の先生と面談を行った。  『今週一杯もつかどうか。。長くても   来週火曜日です。』  全体が真っ白な肺のレントゲン写真を  見せられた。  『真っ白に写っている所がすべて   肺炎に侵されている所です。   肺で酸素を取り込む事ができず、   脳に酸素が届かないので   今のような昏睡状態に

親父の生涯

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平成30年10月18日 午後12:05分。 家族が揃っている目の前で親父が90年の 生涯を終えた。 つい2カ月前に会ったばかりだった。。 でも親父の最期を看取る事ができて本当に 良かったと思う。鹿児島と千葉と離れて暮 らしている事からほぼ諦めていた事だった。 最期の親父を見守っていてつくづく思った。 人間はそう簡単には死なない。 でもその時が訪れたらあっけなく逝って しまう。 新川崎での仕事が前の週に始まったばかり の翌週月曜日の事。朝5時の電話に叩き起こ された。 『お父さんの意識が先週の金曜日から無く  なったのよ。帰ってきて。』 お袋の声を電話で聞いて、急いで当日朝の 飛行機を予約、電車に飛び乗って成田空港 に向かうも5分遅れでチェックインできず。 そのまま夕方まで空港内で過ごし実家に 到着したのが夜の20:00過ぎ。。 #こういう所、成田空港って本当にいけて #いない! 夕飯をお袋と食べて夜21:00過ぎに親父が 入院している病院に向かった。 酸素吸入機につながれたまま意識が無く、 ベッドに横たわっている親父の姿を見て 半ば唖然となった。 それから木曜日までの4日間。 昼は実家に戻り、夜は病院に泊まる日が 続き、4日目の事だった。 見ている前で呼吸がどんどん浅くなり、 ついに呼吸するのを止めてしまった。 自分はもっと悲しくてうちひしがれるもの と思っていた。でも親父の入院していた 病院の先生から親父の臨終を告げられ、 『お父さんは息子さんが帰ってくるのを  待っていたんだね。。』 と言われた時には思わず涙が溢れてきた。 葬儀の席で家族代表で挨拶をした時にも 途中から涙が止まらなくなってしまった。 もっと親父に絵の手解きをしてもらいた かった。 興味を持ち始めるのが遅かった。。 死は誰にも平等に訪れる事である。 自分の生涯も残す所、20数年しか残されて いない。 親父のように何かに打ち込める生涯を送り たい。後悔の生涯だけにはしたくないもの だ。

ハズキルーペはお得か?

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先日のblogに書いたが、会社の会議などで A4用紙に印刷された資料の字を見ようと すると目のピントが合わずに七転八倒する ハメになる。。 最近、テレビで"ハズキルーペ"のCMが 頻繁に流れるようになってきたような気 がする。。 「どんなものなのか?実物を見てみるか」 今のマンションに住んでから眼鏡を買う時 にいつも通っている最寄りの眼鏡店に立ち 寄ってみた。 そもそもハズキルーペとは何ぞや。。 私も勘違いしていたところがあるので、 下にまとめてみた。 #間違っていたら御免なさい。。 ①ハズキルーペには字を拡大する倍率に  3種類がある。  1.32倍  1.6倍  1.85倍  お値段は一律10,800円。  どういう使い分けになるのか?  1.32倍…パソコンの画面の字が見辛い  1.6倍 …机の上に置いた紙の字が見辛い  1.85倍…聞いたけど忘れた。。💀 ②私のように遠近両用の眼鏡をかけている  ような場合、眼鏡をかけた状態のまま  ハズキルーペをその上にかける。 ③ブルーライトカット機能付き。  ただし100%カットではなく55%カット。 私の場合、不自由しているのはA4紙の字を 見る時、、なので1.6倍になる。 ただ、、 当然、倍率が大きくなるルーペを使用する ほど目が疲れやすくなる。 1.32倍か1.6倍か… 「どちらが自分に合っているのか良く  わかりません。できれば1週間ほど実際  に使わせて欲しいんですが…」 と店の人に頼んでみると、 「お。いいですよ。」 という事で1週間だけ無料レンタルさせて もらう事にした。 と、ここまで話が進んだ所で。。 「お客様。今の眼鏡にしてからもう7年  になるんですね。。  字が見辛いという事であれば、その眼鏡  が今現在の視力に合っていない可能性が  あります。  今の視力に合う遠近両用眼鏡に換えると  ハズキルーペも必要なくなりますよ。」 お…。そういう手もあったか。。 「なるへそ。へそなる。  (とは言っていない…)  じゃ、視力を計ってみてもらえますか」 視力検査の結果、年数が経過した事により 今の眼鏡が自分の目にはまるで合って

オーディオどたばた記

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会社の新規取引先の都合で今週は仕事を 休んでいる。会社都合なのに有給?。。 まぁいいか。。消化し切れないほど有給 が余っている。。 さて今週は何して過ごそうか。。 この前のお盆休みに鹿児島にも帰った ばかりである。 お袋も親父の事で手一杯の様子で、 「今回は帰ってこんでもよかが…」 いよいよやる事が無くなった。。 暇になるとすぐに良からぬ事を考えだす。 「いまのオーディオ、、買い直したいな。  へそくりも多少貯まってきた事だし。」 去年の1月13日のblog  最近の密かな楽しみ にも書いたが、これまで価格.comでプリ メインアンプの品評を通勤途中で眺めるの を楽しみにしてきた。 その中で私の目を釘づけにして離さなかっ たヤマハのプリメインアンプ。 A-S801 メーカ小売希望価格:100,000円 量販店での価格相場:約62,000円~ よし!買うか!。。 という事でまずは柏のビックカメラへ。。 CDプレイヤーはTEACのCD-P650-Rに 目星を付けていたのだが取り扱っておらず ヤマハのCD-S300にする事に。 メーカ小売希望価格:50,000円 量販店での価格相場:約25,000円 手持ちのDALI zensor1に繋いでもらって サヴァリッシュのシューマンを視聴。 おったまげた!。。 今まで聴いていたのは何だったんだ? 早速、価格交渉。 「現金一括でアンプとCDプレイヤーを  買うけど、いくらまでお勉強して  くれる?」 「税込みで92,000円で如何でしょうか」 「その2,000円、何とかならない?」 「少々お待ち下さい。。。」 という事で、 ジャスト90,000円 。。 むむ…。 値切りはしたが、当初予算のぎりぎりの 線。。 「とりあえず検討させて下さい」 で帰宅してその日の夜。 A-S801は2014年に発売されたモデル。 年数も経っているので中古で程度が良い のがないかな? ヤフオクを覗いてみる。 オークション中で55,000円 ... リモコン無し... ふ~ん。。 その次の日。 ビックカメラのアウトレットに置いて いないか?と思い、一路池袋へ。

終演後のマエストロとの会話

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あるきっかけで、、 千葉大の院に通う娘を誘って、 昨日、千葉交響楽団の定期演奏会を 初めて聴きにいった。 指揮:山下一史 ソプラノソリスト:石橋栄美 素晴らしい演奏が終わった後、 1時間ほどの交流会が催された。 交流会開始から10分後、 マエストロも登場! 交流会がお開きになった頃、、 勇気を出してマエストロが腰かけて いる傍に歩み寄り、声をおかけした。 =その時のマエストロとの会話= 青字:私 、 赤字:マエストロ 「すみません。。  関係者ではないのですが、できれば  私と一緒のところを写真に撮らせて  頂いてもよろしいでしょうか?」 「お。いいよ!」 「こちらはこの会場のすぐ近くの大学に  通っている娘です。」 ☆その娘がにっこり、  一礼して正面にまわり、  数枚、パシャパシャ… 「今回、来るのが初めてですか?」 「はい。。  以前、熊本震災の時にマーラーの復活を  マエストロが熊本で演奏されたという話  を知りまして…」 「おぉ!そうですか!  熊本のかたですか?」 「いえ、隣の鹿児島です。」 「いま、  どちらにお住まいですか?」 「私は千葉の流山に住んでおります。  こちらの娘は千葉市にひとりで  住んでおります。」 「何か楽器をやっていますか?」 「いえ。小さい頃にピアノを少しだけ。。  私の友人がアマチュアの管弦楽団で今、  活動しております。」 「おぉ。そうなんですか。  また聴きにきてくださいね。」 「はい!必ず!  素晴らしい演奏でした。  どうもありがとうございました!」 興奮と予想外の気さくなお人柄に 頭の中が、、 まっしろ 熊本の話が出た所で本当はこう言いたかっ た… 「以前、熊本震災の時にマーラーの復活を  マエストロが熊本で演奏されたという事  を知りました。  その時の演奏会が素晴らしかったという  事と、実は山下さんという方はカラヤン  が急病の折、カラヤンの代りにジーンズ  姿で第9を指揮されたという伝説を  お持ちの方である事を友人から聞きまし  た。  そんな方がいるんだ!と初めて知って  山下さんのお名前をネット検索したら  なんと千葉

腕時計が突然に

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今から30年前の20歳代後半の事。 貧乏なくせに高価な腕時計にステータス シンボルを感じていた時期があり、 セイコーのそれなりに高価な腕時計を買い 今まで使い続けてきていた。 セイコーの✳(アスタリスク)。 そんなモデルはとっくの昔に作っていない。 でも当時の御値段は確か10万円前後だった と記憶している。電池交換の時以外、秒単 位で微塵のズレも起こさない正確な時間を これまで刻み続けてきた。 婚約指輪を作っていた職人さんからも 綺麗な時計ですね、と誉められもした。 流石は日本が誇るメーカーの時計!... その時計が先日朝起きると突然、10分程 遅れていた。。 あれ?電池?。。また?。。 おおたかのショッピングセンターにある 時計店を見付けて見てもらう事にした。 最近は町の時計屋さんを探すのも一苦労。 『電池は、ね、ほら、元気ですよ。  でもね、リューズを目一杯引っ張って  長針を動かしてみて下さい。。』 全く針が動かないわけではないが、時々 くねっ、、と空振りをする。。 裏蓋を開けた状態で中を見せてもらった。 あるべき所のネジが明らかに無くなって いたりする。 とりあえずメーカー側でまだ修理を受け付 けてくれる型番だったので修理の可否も含 めて修理代を見積もってもらう事にした。 ほぼ2週間経過して見積り結果を知らせる 電話がかかってきた。 『税込みで2万6千円です!』 想像はしていたが少しヒヤッ、、ときた。 でもその時にはこれまで長く使ってきた 時計であるという思いが先に立ち、 『修理お願いします!』 と思わず答えていた。 でも頭を冷やして良く考えて。。 余程高価な時計でない限り、30年前とは 腕時計の値段の相場は明らかに違ってきて いるし、価値観も変わってきている。 修理代と同じ金額を出せば結構良い感じの 同じメーカーの新品時計が手に入る。 高価な修理費用を出してもこれまでの使用 年数の長さを考えると、 『修理した後の保証はし兼ねます。。』 と言っていた事も思い出した。 慌てて2日後に修理キャンセルの連絡をして メーカー側でギリギリ間に合った。 見積りの為に時計を分解していたので手元 に戻ってくるのにまた2週間かかる

後見人制度

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成年後見人と任意後見人という制度を ご存知だろうか。 私の場合、 鹿児島に住んでいる両親とは離れて暮らし ており、母親は80歳過ぎ、実家に単身在住。 今のところ元気!。父親はパーキンソン病 で体が思うように動かず病院暮らし。 でも両親が今後どうなるかは予想が付かな い。 『成年後見人という制度があるから考えて  おいた方が良いよ。』 という妹兄弟からの話があり、調べていた 所、この本を見つけた。 自分の経験談から著者が言いたい事はただ ひとつ、 『相応の準備さえしておけば後見人など  要らない!』 という事。 ほぉ。。 著作権に抵触しない範囲でこれも書き留め ておきたい。 ①そもそも後見人制度とは?  両親が亡くなった時の葬儀費用など親  自らが貯蓄して備えている場合が多い。  その親が亡くなったり、痴呆で何も判断  できなくなった時に後見人が親の貯蓄、  財産を管理する事ができるようになる。 ②後見人になる為の手続きは?  最寄りの家庭裁判所への申立てが必要  となる。例えば長男の私が後見人になり  たい、と申立てたとする。  但し成年後見人の場合、申立てを行っ  た人が後見人になれるとは限らない。  全ては家庭裁判所の判断に委ねられる。  つまり赤の他人が両親の財産を管理する  事になる事がある。  任意後見人では  『この人を後見人にします。』  と後見人を指名する事ができる。  但し、、 ③後見人が不正を働かないように後見管理  人を立てる事が義務化されている。その  後見管理人に対して報酬を払わなければ  ならない。  月々2万円、年間24万円が相場だそうだ。  その後見管理人も不正をするケースが  ある。その場合には  後見管理人の代わりに信託設定も可能。  その信託設定の手続きは司法書士など  専門職後見人でなければできない。  当然、只ではなく報酬を支払わなければ  ならない。  著者は20万円を支払ったのだそうだ。  親の財産を守るために他人に高額な報酬  の支払いが必要?  なんだか本末転倒な話である。 ------------------------ これらの問題を解決するためには、後見

定年退職を考える

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57歳で早期定年退職した親父と同じ年齢の 毎日が過ぎる。いよいよ本腰を入れて考え る時期になってきたような気がする。 『これからどうやって生きていくのが良い  のだろう。。』 その答のヒントを少しでも貰うために、 この本を見つけて先日購入した。 この本の著者だが、輝かしい職歴の持ち主 である。伊藤忠、SONYなどの取締役を遍 歴してきており、現在も人材紹介会社の 代表取締役社長を勤めている。 1935年産まれなので御年80歳を越える方。 『自分の優雅な生活には関係ない事なので  他人を適当に見下して書いているだけ』 という意見もネット上のレビューに見かけ る。 でも私はそうは思わなかった。 人材紹介のプロが言う事は真摯な気持ちで その考え方を受け入れた方が良い所がある。 著作権に抵触しない範囲?。。でこの本に 書かれている要点だけを簡潔に書き残して おきたいと思う。 #簡潔に纏められているのか? #そこが問題。。 ①いまや90、100歳まで普通に生きる時代。  定年退職した後の長い年月をどのように  して生活していくのか。 ②企業年金機構の破綻など昔のように年金  だけで悠々自適の生活は望むべくもない。 ③体が動く内は職種は問わず一生働くべき  である。 ④一生の間の仕事には第1ステージと第2  ステージがある事を認識すべき。  第2ステージへの移行準備は55歳前後に  は考えておきたい。  第2ステージへの準備とは、  即ち大型借金の清算などである。  住宅ローンの完済、etc。  長い人生を考えた場合、  早目に第2ステージへの生活移行を考える  べき。 ⑤第1ステージでの職位、所得など同じよう  なプライドを引きずってはいけない。  第2ステージで職を見つけるのが困難に  なるだけ。 ⑥定年後の雇用延長はすべきではない。  なぜならば。。。 など書かれている。 これ以上の詳細は実際の本の中で。 私には大変参考になりました。 読み返す度に長い目で見た自分の一生は 今現在の自分の決断次第である事を痛感さ せられる。 その機会が遠からず訪れそうな気がする。

不明過ぎる政治家

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巷では社民党に属しているこの議員が ツィットしている日本語が不明過ぎると 話題?になっているらしい。 ちょっとその話題に目を向けてみた。 出るわ出るわ。。 明らかに誤字とわかる呟きもあるが、 皆目見当もつかない文章もある。 天下の東大法学部卒の高学歴も形無し である。 ◆明らかに誤字とわかるツィット◆ こういう『やってしまいがち』な過ち。 普通の人だったらこのような文章が公に なったら恥ずかしくて仕方がないと思う のだが何とも思わないのだろうか? 『見たければ見れば~?』 の開き直りか?さんまか? 投稿する前に見直さないのだろうか。 それとも誤字であることを認識できない のだろうか。まさかね。。 ◆本格的に謎なツイット◆ で、以下の2つは皆目見当がつかない。 猿?馬?お風呂がどうした?。。 鍵が説教?。。 解読する為の手掛かりすら皆無。。 どこかの国家との暗号通信か? 誤字とか打ち間違えとは到底思えない。 実はそんな大層な物ではなく自分に 対する世間からの悪評を聞きつけて、 わざと不明な言葉で煙に巻き返そうと いう気でいるだけなのかも知れない。 そこまでして世間から注目して欲しい? 方法を考え直した方がよろしいと思うの ですが。。 脱力。。

パワハラ

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『ハラスメントを受けた。  ハラスメント行為があった。』 というニュースが最近続く。 ハラスメント、、 便利な外来言語であると思う。全ては 訴訟社会のアメリカ文化の受け売り。。 和風に端的に言うと「いじめ」である。 つい最近の体操協会での騒動。 髪の毛を引っ張るなど指導コーチとして 確かにやり過ぎな行為もあったかも知れな いが、頭を叩いた、大声で怒鳴った、立た された、、など「それが暴力なの?」と思 う。 それらのハラスメント的な事実を理由に 体操協会の御偉いさんが指導コーチを即刻 永久除名処分に処す。 上の立場に立つ人間の身勝手な判断にしか 見えてこない。 いまや小学校の先生でもハラスメント行為 の告発を受けまいと腐心していると聞く。 身体への暴力、言葉の暴力、、、いちいち 気にしていたら学校の先生らしい指導もで きなくなるだろう。 ただ自分が高校時代に受けた未だに忘れら れない出来事がある。 当時スパルタ教育で有名な学校であり、 確か朝礼の時に服装検査が週一で行われて いた。 ある日私の所に担任の教諭がまわってきた。 髪の毛の長さ、服装の乱れなどチェックさ れた後、、、 『ハンカチは?』 。。と問われて持ってくるのをうっかり 忘れていた事に気付いた。 『忘れました』 と返事したらいきなり 平手でビンタ を受け た。。 痛いと思う前にビックリしてしまった記憶 がある。 ハンカチを忘れただけでビンタ?? 今でも当時の事を思い出す度に不愉快な気 分になる。同じような事をやっている学校 が未だにあるのか? 一見平和な毎日が続く。 でも権力のある人間が自分の権力を誇示せ んが為だけに行っている行為、言動が目に つくようになってきたような気がする。 一昔前の戦時中には国家的な独裁者がいた。 今は色々な協会、集団があり、規模が大き くなればなる程、その優越感からか、それ ぞれの集団の頂点に独裁者が居座るように なってきた。 時代が変わり形が変わっても何らかの絶大 な権力を得てしまうと自分の力を周りに示 さずにはいられなくなるのが人間の持つ 本性という所なのか。 同じような事は、そこら中で行われている よ