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あの方も…

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この本を読んで、もう1か所だけ 強烈に印象に残るところがあった ので残しておきたいと思った。 ショスタコの遺作 ヴィオラ・ソナタ作品147 ドルジーニン初演時の本人の 回想録である。 (初演:1975年10月1日) ショスタコ永眠 1975年8月9日18時30分 さすがのあの方も。。 そうか。。。 そうだよな。。。 Dmitri Shostakovich. Sonata for viola and piano Op. 147 ---------------------- ソナタはほとんど催眠術のような強い 作用を聴衆におよぼした。 ホールで唯一の空席であるドミトリ・ ドミトリエヴィチの席には花束が置かれ そこから遠くない場所に エヴゲーニイ・アレクサンドロヴィチ・ ムラヴィンスキイが、私の妻と並んで 座っていた。 彼女によれば、ムラヴィンスキイは、 まるで子どものように止めどなく涙を 流していたが、 ソナタが終わりに近づくにつれて 文字どおり、慟哭に身を震わせていた。 ソナタの成否について語るのは、 まったく不適切である。 舞台の上と聴衆の心の中で生じた ことは音楽の範疇を超えていた。 われわれが演奏を終えたとき、 私はソナタの楽譜を頭上に高く 掲げた。 聴衆の喝采を残らずその作曲者に 注ぐために。 ---------------------- 全般ランキング にほんブログ村

Shostakovich against Stalin

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この本を読んでいて、今更初めて 知る事ができた事があったので、 ここに書き留めておこうと思った。  ------------------ スターリンの死を嘆き悲しむ、悲劇的で ヒステリックな群衆の荒れ狂う奔流に 平行して、ほとんどひと気のない通りを 群衆の流れとは反対方向に進んでいく 小さな一団がありました。 その人々の肩には当時、もっとも偉大な ロシアの作曲家の棺が担われていたの でした。・・・・ それは、プロコフィエフの家族の他、 ドミトリ・ショスタコーヴィチ、 ニーナ・ドルリアク、 アンドレイ・ヴァルコンスキイ、 エヴゲーニャ・ミャスコフスカヤ、 エディソン・デニーソフ、 ゲンナディ・ロジェストヴェンスキイ ・・・・。 結局、この別の志を持ち、別の目的を 目指して、道を進んでいった人々の 小さな、特別な一団だけが歴史にその 姿をとどめました。 その姿は、私には、象徴的なものの ように思えます。なぜならば、 時流に逆らうこのような動きは、 まったく先の見通しがないものだった からです。それでもやはり、 当時でさえ、その前のいつの時代も そうだったように二つの答えのうち、 正しいほうを選択する可能性は存在 していたのです。 『シュニトケ』:285-86   全般ランキング にほんブログ村

その後の容態

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過去ブログサイトで 「脛が痛む」 と投稿したが、 未だに痛む。。 かれこれ、1カ月になりそう なのですが…。 という事は少なくとも筋肉痛の ような症状ではないって事。 6月第1週の土曜日にMRI検査を 受ける予約を入れた。 ぎっくり腰のような症状は以前から 出ていたので、 この際、自分の腰の状況を詳細に 知らないと、今後に向けて 手の打ちようも無い。 初MRI。。 CT検査ではないので、検査時間も 30分程度はたっぷりかかるとの事。 超音波の波動にどれだけ自分の 聴覚が反応してしまうのだろう。。 最近、頭の働きも鈍くなってきて いるような気がする。 ついでに頭の検査もしてもらおう かな。。 まったく、 イヤんなっちゃいますね~🐽🐽🐽 日々の出来事ランキング

2016 東光会にて

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GWの毎年恒例。 今年も上野の東京美術館に 東光会の展覧会を見に行く。 3連休の中日という事で 上野動物園も無料開園デー。 しかも生誕300年記念という事で 『若沖展』も開かれており、 公園内は長蛇の列。 そんなに有名な人だったっけ?。。 長蛇の列を横目に見ながら、 同じ建物内で行われている 東光会の展覧会会場へ。 88歳になり、 普段の生活もお袋の介護が必要な 親父。 身体的にも不自由を強いられており 絵を描く気力も落ちてきているらしい。 それでも展覧会に向けて このような絵を仕上げてくる。 絵の号数は約80号。 たかだか、10号の絵に取り組み、、 「精神的にきつい…」 などと、悲鳴を上げている自分とは レベルが違い過ぎる。。 我が親父ながら、 「あっぱれ」 としか言いようがない。 にほんブログ村