ショスタコーヴィチの証言

この本はショスタコ自身についての回想
ではなく他の人々についての回想である。
世評では本当にショスタコ本人が語った
事なのか、その信憑性を疑問視する声が
あるのは周知の事である。一応、本を編集
したヴォルコフも序章で述べている。

<ショスタコの質問への答えはしばしば
 矛盾していた。そんな時、彼の言葉の
 真意を二重底の箱から引き出し推測せ
 ねばならなかった。>

・・・

以下、私が読んでも理解できるような著名
な音楽家に対するショスタコの回想録から
の抜粋を記しておきたいと思った。。

ちょっと正直、面食らってしまう。 。
もう1回、読み直してみようかとも思う。
他の文献も捜してみようとも思う。

いずれにせよショスタコの音楽に対する
自分の気持ちが変わる事はないのだろ
うが。。

●トスカニーニへの憎悪

<私がとりわけ憤慨させられるのは冷血
 漢の周囲に常に崇拝者と追随者がいる
 という事実である。その典型的な例が
 イタリア生まれの指揮者トスカニーニ
 である。わたしはトスカニーニを憎んで
 いる。彼は音楽をまったく恐ろしいもの
 に作り替えようとしている。
 トスカニーニは私に敬意を払い第七交
 響曲のレコードを送ってくれたがそれ
 を聞いた時、ひどく腹が立ってならな
 かった。なにもかも、精神も性格もテ
 ンポも、すべて間違っているのだ。>

ほぼ3ページに跨がりトスカニーニへの
罵詈雑言が延々と記されている。
ほぼ一方的に、、?
相当にお嫌いだったご様子である・・。

●プロコフィエフとの葛藤

<どういうわけかプロコフィエフと私の間
 には友情が生まれなかったが、それは
 おそらくプロコフィエフという人には
 およそ他人と友情を分かち合う気がな
 かったからだろう。
 プロコフィエフは峻厳な人で自分自身
 と自分の音楽の他には一切興味を示さ
 なかったようである。プロコフィエフ
 にはお気に入りの言葉が二つあった。
 ひとつは「面白い」という言葉である。
 彼はこの言葉で周囲にある全てのもの
 を評価していた。「面白い」というひ
 とことで充分だと思っていたようだ。
 もうひとつの言葉は「わかりましたか?」
 というのだった。この二つのお気に入り
 の言葉が、わたしをいくぶん苛立たせ
 た。わたしのオペラ"マクベス夫人"の
 総譜に目を通してはくれた。
 「面白い」と彼は言っていた。。>
ショスタコ自らも認めているが、若い頃の
ショスタコも、相当鼻っ柱が強かったらし
いですが。。

●ストラヴィンスキイへの敬意 

<ストラヴィンスキイは現代の最も偉大
 な作曲家の一人であり彼の作品の多く
 を私は心から愛している。晩年になる
 につれ、ストラヴィンスキイの作品は
 次第に悪くなったと考える愚か者がい
 る。それは中傷であり嫌がらせである。
 わたしが、それほど好きでないのは"春
 の祭典"のような初期の作品である。
 それはかなり荒削りな作品であり表面的
 な効果を狙った計算が多すぎ、内容が
 乏しい。火の鳥についても同じ事が言え
 それ程好きになれない。
 それでもいかなる疑いを差し挟む余地
 もなく、ストラヴィンスキイは今世紀
 にあっては偉大な作曲家と呼べる唯一
 の存在である。>

ヴァイオリン協奏曲、ミサ、ペトルーシカ
あたりをタコさんはお好きだったそうであ
る。
マーラーの音楽に対しては、ほぼ熱狂的
に好きだったようである。

●ムラヴィンスキィへの。。。。

<ある時、わたしの音楽の最大の解釈者
 を自負していたムラヴィンスキィが
 わたしの音楽をまるで理解していない
 のを知って愕然とした。交響曲第五番
 と第七番でわたしが歓喜の終楽章を書
 きたいと望んでいたことなどと、
 およそ私の思ってもみなかった事を言
 っているのだ。この男には私が歓喜の
 終楽章など夢にも考えたことがないの
 もわからないのだ。あれは強制された
 歓喜なのだ。鞭打たれ、「さあ、喜べ、
 喜べ。それがおまえたちの仕事だ。」
 と命令されるのと同じだ。
 これがいったいどんな礼讃だというの
 か。それが聞き取れないなんて耳無し
 も同然だ。>
うむむ。。
これが物議を醸した問題の部分か。。
ムラヴィンは、この証言を目にしたのだ
ろうか。。。
あいた口がふさがらない、とは、まさに
この事かも知れない。
ちなみにヴァルコフにより、この証言が
書かれたのが1979年6月辺り。。
証言した本人は既に亡き後である。。

事の真実は、、語った本人にしかわから
ない。。


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