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8月, 2017の投稿を表示しています

数十年ぶりの府中行脚?

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ダヴァーイの定期演奏会を聴きに、 先日、東京の府中まで出かけた。 「府中か、遠いよなー、どうすんべかなー」 と迷っている中、学生時代に府中に在住して いた旧友から 「行かない?」 とのお誘いを受けて 「行く♪(ぱん君か♪)」 当日は常磐線の地獄のような運行ダイヤ大 混乱の中、やっと、の思い(約1時間遅れ) で府中の会場に到着。(府中の森芸術劇場) 最近、、 信号機故障とか多過ぎじゃないですか?。。 まったく。。 #置いといて。。 今回の演目はハチャトゥリアンのバイオリン 協奏曲とプロコフィエフの交響曲第6番。 両方とも知らない曲だったので、予習のため YouTubeで良さげな音源を集中的に聴く事、 数回。 バイオリン協奏曲は少し独特な癖があるもの のすぐに馴染む事ができた。特に第3楽章の 華麗にスキップするようなヴァイオリン・ ソロの旋律が印象的。 が、プロコの方はなかなか苦戦を強いられた。 掴み所がなく所々、プロコらしい馴染みの 節回しが顔を出したと思ったら、すぐにその 曲調が空中に霧散する。。 と表現すれば良いのだろうか。。 プロコフィエフのこだわり? 反逆精神? それとも単なる変人? そんな予習状況の中、当日生演奏を聴いた。 以前にも取り上げたが、相変わらず上手い 素人オケ集団である。 プロコの終楽章の爆発的な追い込みなどでも さらっとやってのける辺り、 ただ者じゃ~ない。。 太鼓の皮が破れてしまわないか少しだけ心配 だった。 なんとか組曲の初演時のように。。 (たこさん証言より) ヴァイオリンソロの音色も出だしの数小節が 聞こえ辛かったが、 とても繊細な音色がホール内に響いていた。 どこから見ても風貌が「や▲さん」にしか 見えない方が繊細で美しい音色を聴かせて くれていた所に何とも言えないギャップを 感じてしまいました。。 終演後の拍手に応えるため、何度かステージ に登場する時も歩きが思い切り、 「がに股!」だし。。 まぁいいか。。大きなおせわ。。 とても個性が強い方と言った方が良い? 遠い道のりを経て聴きに行った甲斐があった と本心から思える演奏会だった。 帰り

骨密度、脚点とは?

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本日、通院デー。 先月から引き続き、病院そばの「マツキヨ」 の測定器で測れるものは全てひととおり計っ てみた。 相変わらず「血管年齢は60歳」を維持、、? 血圧はたぶん正常。。 「ストレスは無し!」&「ストレス対処能力  が非常に高い!」。。   そうは思えないんだけど、、   ほんとうかなぁ。。 骨密度を計ったら5段階評価の「C」と出た。 良くも無し、悪くも無し、敢えて言うなら 骨の鍛えが少し足りない、という結果。 「脚点がやや低い」という計測結果があった。  脚点?。。 体重に占める脚の筋肉量を数値化したもの らしい。 体脂肪率と筋肉量による体形判定は「標準」 。。体形は標準だけど身体を支える脚の筋力 が劣り始めているという事らしい。 そういえばヘルニアを患って以降、左足裏に モートンの症状が出て、極力脚に負担をかけ ない運動ばかりやってきていた。 で、本日はスポーツジムに行って久し振りに ランニングマシンに乗ってみた。 60分使用して消費カロリーが約350kcal。。 60分後にマシンから下りると脚がふらふら。。 つかまり立ち状態。。 時速7kmにマシンを設定したら、全く脚が ついていけない、という今現在の自分の実態 に気付いた。。 走れない。。 脚が弱る年齢には、まだなっていない筈だっ たのだが。。来週以降、陸上での運動をなる べく取り入れるように見直した方が良いのか も知れない。 あくまで無理せぬ範囲内で。 無理をするとまた腰がたたなくなる。。 全く厄介な年齢になってきたものだ。

血管年齢

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毎月の通院(慈恵医大附属 柏病院)で 毎回薬を処方してもらいにいく 「マツキヨ」に先月訪れた際、血管年齢測定 器、ストレス計測器、骨密度測定器などが、 店内におもむろに設置されていた。 「お時間ある方はご自由にどうぞ~♪  ただですよ~♪」 とあったので血管年齢測定器とストレス計測 器で今の自分を計ってみた。 「あなたの血管年齢は60歳です」と出た…。 まぁ実年齢からすると許容範囲内なのか? 週一回の運動では足りないのか。。 しょっぱい食べ物(ラーメンとか)を食べ過 ぎか。。 食い過ぎ?食わされ過ぎ? 肝臓を悪くしているガチョウか?。。 #この高級食材??、、好きになれない。。 週末の有酸素運動を始めたキッカケはほぼ 10数年前に高血圧症を患ってから。 最低血圧が110を越えるとかなり気持ちが悪 くなる、という事を身をもって実体験した。 自分の次に計測していた同年代の男性の方、 「血管年齢が、、は!?80歳かよ!!」 と笑いながらデカい声でお怒りになっており ました。。 その横でなんとなく安心してしまった自分。。 ストレス計測器での結果は、 「あんたにはストレスありません。」 と出た。。。 んむむ。。救いようがない高い数値が出ると 思っていた自分の思いとは真逆の結果。。 まぁ、所詮、只で使える計測器なんだな、と いう事で残念な機械なんだ、、と思う事に しました。 今週末も月一の通院デー。 今度は骨密度でも計ってみようかな。。 って、この通院生活、、 いつまで続くのかな??

残された子供達に必要なもの

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先日、ちょっとしたタイミングの遅れから 癌でわずか34歳で亡くなった有名人の方が いた。 早いもので、あれからもう49日が経つ。。 未だに特効薬がなく早期発見しか生き残る 道がない不治の病。 でも、あの有名人一家だけに起こった不幸 ではない。同じような境遇、もっと辛い 境遇に会っている人が世間には大勢いる。 せめてもの救いは亡くなる直前、 顔はやつれてはいたものの綺麗なまま逝去 された事。 家族が喪があけない内に遊園地に行ったら 「道徳心を疑う・・・」 と非難がましいニュースになる。 なぜ?遊園地? 確かに自分にも思いがつかない行動だった。 だが、今のマスコミの報道のされ方にも首 をひねらざるを得ない。芸能人レポーター とか、何にニュースバリューを見いだして いる人達なのか、その存在意義すらわから ない。。 自分たちの私見は取り除いて事実だけを 伝えればいいのに、と思うのだが、、 もっとこうすれば良い、普通こんな事を しちゃいけない、常識を疑う、、etc 事の経緯まで十分に検証することもなく 自分達の正義感だけを公共の電波で振り かざしてくる。。 いったい何を望んでいるのか。。? 子供を元気づけるためにTDLに連れていっ た、、多分、特殊な環境に身を置く父親 ならではの苦し紛れの行動だったのだろう が、、、 そんな事で幼い子供の心の傷が癒される 事はない。 私自身の経験からも良くわかる。 私も10歳の時、母親と死別した。 同じ癌(胃)という憎っくき病で。。 子供の心を癒やしてくれるもの、それは 新しい母親、または母親代わりの人が家族 に加わり親交を深めていくこと以外に方法 はない。 でもな、、 この人の場合、再婚でもしようものなら、、、 また地獄の釜の蓋を開けたような報道合戦 が始まるのだろうな。。 想像しただけでげんなりしてくる。。 報道の自由? 何でも報道すれば良いというものではない。

書く事と書き続ける事

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本を読むのが好きである。 と思う、多分。。。 休暇はお絵描きも始めたので読書にあてる 時間がその分、削られてしまったがスロー ペースでほぼ毎週末に本を読む。 村上春樹氏、宮部みゆき氏、大澤在昌氏、 逢坂剛氏、 伊集院静氏、 筒井康隆氏、 乃南アサ氏、池井戸潤氏、船戸与一氏、 横山秀夫氏、百田尚樹氏。 好きな作家は誰?これまで印象深かった本 の著者は誰?と問われるとこれらの人の名 を思い浮かべる。 先日、伊集院静氏がテレビ番組に出演して いた。伊集院氏が書いた名作を読んでいる と時々頭の中に白いものが混じってくるの を感じる。 繊細な日本語が持つ語彙の使い方の巧さ、 絶妙な感情表現にハッとさせられる作家の 一人である。 「私は今でも日課として毎日、200枚以上  の原稿を書いているんだよね。」 さらっと発せられた言葉にずっしりとくる 重みを感じた。 ある日、作家になる事を思い立ち物語を 書くのはその時の気持ちの勢いだけであり 職業作家として何年も何十年も物語を書き 続ける事は誰でも容易く真似る事はできな い。 #悪口じゃないですよ。。 世間で「ノーベル賞候補」と言われ続けて いる村上春樹氏本人は全く賞というものへ の執着心を持っていない。 「だって賞って一過性のものであって  2、3年前に誰が受賞していたのか、  なんて誰も覚えていないでしょ」 ついこの前発表があった直木賞、芥川賞の 受賞者の名前を私は既に覚えていない。 昔、歴代の直木賞受賞作の本を遡って読ん でみようと思った事があったが、 そのバカバカしさにすぐに止めてしまった。 受賞の決め手となった光り輝くものが読ん でいてさっぱり伝わってこない。文章表現 も稚拙で、どこかで読んだ事のある文章が 出てくる。。 きっと何でもそうなんですね。 長く続ける情熱と努力で培われた揺るぎ ない感性こそが一番大切なもの。 果たして今の私の感性とは。。 頑張らなきゃ。

虐めの問題

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虐めの問題が無くならない。 今に始まった問題ではないが、わずか小学 生が自殺した、しかけた、、 というニュースを見る度に痛ましい思いを 感じる反面、自分の苦々しい過去をも思い 出す。 私も小学生低学年の頃、「苛める側」に 加わっていた時期がある。 昭和40年代の鹿児島実家の周辺。 実家がある坂を少し下りると細いバス通り が横切っており、その通りを挟んだ向こう 側にはドヤ街が広がっていた。更にその 向こう側には鹿児島刑務所が建っており その周囲には大きなどぶ川が流れていた。 雨が降ると土地もすぐにぬかるみ、 御世辞にも清潔とはいえない街並み。。 (今は立派な鹿児島アリーナが鎮座) そのドヤ街に私と同年の女の子が住んでい た。その所謂だらしない身なりから周りの 同年生からの虐めの標的にされていた。 その女の子が時々発していた火のついたよ うな泣き叫び声が未だに脳裏に焼き付いて おり、時々克明に思い出してしまう。 泣き叫びだしたら、更に面白がって虐めに 拍車がかかっていたような気がする。 やがて小学校を転校してその女の子に対す る虐めが収まったと思いきや、次の虐めの 標的を見つけ出し、、 今思えば酷い事をしていたものだと思う。 自分で自分が嫌になる事もある。。 虐めを加える側も相手の気持ちを思いやる ような思慮が充分に働かない年端もいかな い子供がやる事。そんな時には周囲の大人 達が厳しく叱ってあげるべきだと思う。 なのに、こんな残念な現状が投稿されてい たりする。 周囲に対する無関心、保身、責任回避、 責任のなすりつけ合い。。 我が家の一人娘も小さな頃、虐められてい たが何とかうまく乗り切ってきてくれた。 会社でもハラスメントという名の虐めが横 行している。事なかれ主義で表面だけ綺麗 に取り繕おうとしている今の日本に明るい 未来が待っている筈がない。 虐めは絶対に許すべからず!