日本ブログ村

2020年3月28日土曜日

不要不急の外出

首都圏封鎖までギリギリの状況。
不要不急の外出は控えるように、という
話が頻繁に耳に入ってくる。

桜名所の道が閉鎖されたり、お花見所で
腰を下ろしての飲食が禁止されたり、、


だいたい、この時期、上野公園あたりでは、
騒がしい酔っ払いがたむろしていたが、
それがなくなった事はむしろ歓迎すべき事だ。

お花見の意味を勘違いしている輩が多すぎる。


日本のプロ管弦楽団に所属している団員の
方のツィートを目にした。

『公演が中止になった。
 我々は不要不急の存在なのか、、
 残念だ。
 このまま自粛が続くと廃業せざるを
 得ない。』

色々な生業を仕事としている方がいる。
生活に必要不可欠なもの以外を不要不急な物
として、すみわけてしまう考えも如何なもの
なんだろう。

晴れて自粛が解除された暁には何の
楽しみもない世の中になっているかも
知れない。



コンサートやイベントなど、
簡単に中止にはして欲しくない。
開催に向けてきっと打つ手は残されている
筈だ。

やむを得ないが、
ある年齢以上の方の入場を制限する、
入口で簡単な健康チェックを行う、
マスク着用を義務化、あるいは配布する、
座席シートは横方向に一席空けて座って
もらう、
そのために入場者数を管理、制限する。。

色々と手を尽くしても結果的に報われない
のかも知れない。
でも何もやらないで風評だけに流される
よりはマシなのではないか。


先日、職場の送別会が新宿の居酒屋で
行われた。前日だけで東京で40人もの
感染者が見付かった翌日である。

流石に躊躇する気持ちはあった。
やっぱり延期するべきか?、、

ところが閑散としているものと思いきや、
店の中は若い人で大入満員だった。


自粛疲れ、飽きた、大した菌ではない。
人それぞれだろう。
でもイタリアなどの状況を見る限り、
楽観視は禁物である。

できる範囲で気を付けていくしかない。

首都圏閉鎖になったら、三鷹に通勤する
のに、とてつもなく苦労することになる。
在宅勤務が不可能な職種だから仕方ない。
天下のNTT御大をもってしても無理なものは
無理なのだ。


長期戦になりそうだ。でも
一日でも早く、収束の兆しが見えるような
明るい話題が聞こえてくる日を待ち望んで
いる。

2020年3月20日金曜日

空調によるコロナ換気


相変わらず世間はコロナコロナの毎日。

トランプアメリカと中国は戦争勃発寸前の
言い争いだ。

『中国の情報隠蔽でここまでコロナが蔓延
 した!』

『アメリカ軍隊がウィルスを運んできた!』


私見ではトランプの言い分に分があると思う。

つい最近の香港の自由化運動の鎮圧の仕方、
高速鉄道事故の後処理の仕方など
国家権力が独裁的に振る舞われた事は
記憶に新しい。
共産国家だから仕方ないのかも知れないが
都合の悪い情報は徹底的に隠蔽しようとする
体質。

人を上辺だけで判断しちゃいかん、という
言葉があるが、
その人の持つ人となりは上辺に表れてくる
ものだと私は思っている。

来日しての中国人の爆買いったら、
見ていて品が無さすぎる。。
少しでも物を安くしようとするデフレ社会も
この際、徹底的に見直して価格の適正化を
計ればいいのではないか。


、、と、さておき。。

常磐線の電車の中は相変わらず朝夕とも
混雑している。

最近車内でこんなアナウンスが流れる。

『車内換気のため、これから空調装置を
  作動します』

ん?。。
つい身構える。。。

空調って、、吸ってるよね?
閉じられた空間で風を吹き出して、
ウィルスを吹き散らしてないよね?。。



"感染爆発警戒"とか、専門家から次々に
言葉が出てきて人々を脅かす。

いったいいつまで。。

途方にくれるとはまさに今の状態。
なんでも自粛、自粛の繰り返し。

国民のフラストレーションもそろそろ
限界である。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

2020年3月14日土曜日

年をとることのデメリット


『年をとることのデメリットは?』

『今自分の書いているものが、、
  自分の考えの理想とする所に
 まだ辿り着いていないと考えつく事』

山手線の車内ビジョンでこんな映像が流れた。
#少々字幕の見違えがあると思うが。。

妻夫木聡が三谷幸喜へインタビューしている
ビールCMでの一言。

いい答えだと思った。

思わず心に滲みた。
なので、こうしてブログに残しておこうと
思った。


最初は親父を少しでも喜ばせようと思い、
週末に描き始めた絵画。
もう8年にもなる。
教室に通う事もなく全て自己流。





全く親父に近付けない。それでも、
当初に比べて少しはマシになったと思えない
ことも無い。。が、
自分の中で納得できるものはまだ描けて
いない。
それでも控えめに見て
まぁまぁ、、と思う絵は、
実は大家の先生が描いた絵の模写だったり
する。

#上の絵は絵の素材として親父が持って
#いた写真をもらって描いたもの。
#「この写真の花を描いてみろ」


学生時代、特別に絵を描く事が好きだった
わけでもない。
でも週末に絵を描く事がこのところ、
すっかり習慣として定着してきた。
自室で傍らでは好きな音楽を流しながら。
ものを創作すると時間を忘れて夢中に
なれる。
その時間を心から楽しく思えてきた。


今は自分のために描き続けている絵。
私の最終的な目標は親父に追い付き、
そして自分ならではスタイルを確立する事。

世間で広く認められている人でさえ、
自分はまだまだ、と考えている。

終着点などあるわけがない。

焦らず、ゆっくり急ぎながら
これからもいきますか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

2020年3月7日土曜日

伊集院静氏の復帰を待つ

作家の伊集院静氏が先日倒れたという
ニュースが流れて久しい。
一時騒がしかったが、奥さまの篠ひろこの

『そっと静かにさせて下さい』

という一声で、、
世間もそうしようと思ったのか。

その後の経過がわからないが多分安静にして
いらっしゃるのだろう。
マスゴミも静かな状態が続いている。
#もう話題に飽きたか?


伊集院氏が倒れたというニュース記事に

『早く元気になって』

とコメントを書き込んだ。
その時、そのコメントに対する反応で
世間の人がこの作家に対して抱いている
感情は大好きか、大嫌いかの両極端なんだな、
と思った。

最新の大人シリーズにこういう章がある。

----
ガラクタの人生

私の短い半生の半分近く、私は世間から
ガラクタのように見られてきた。
こう書くと嘘と思われるかも知れないが
事実である。

「あんな男見るのも嫌だ。ただの酔い泥れの
     博奕打ちでしょう。ガラクタよ。」

そういう目で私を見た男と女はゴマンといた。
承知で歩いてきた。
----

ただのガラクタにもなりきれず、
波風立たないように、
努めて御行儀良く、危なげ無く
何となく生きてきた私のような人が
世間では大勢を占めると思う。

自分の生き方に確固たる信念を持ち、
簡単には己を曲げず、頑固で
颯爽としている人だと思う。

だから著書からあれだけ強烈なメッセージが
読者の心に届くのだと思う。
そんな人の事を何となくの大勢が非難した
ような事を言えるのか?


ただ何となく過ごす事の恐ろしさを最近思う。
ただ時間だけが経過して、、
生まれてきたからにはいつかは訪れる死。
その間際に自分は何を思うのだろう。


無に戻るだけである。
綺麗な花畑など臨死体験をして
戻ってきた人の言っている事である。

その瞬間だけでもいい。
自分のやってきた事を少しでも満足に
思いたいと願う。


色々な言葉に何度も賛同し、
あまりの切なさに涙し、
感銘を受けてきた。


この本も最初に出てきた屈強な老人の
最後に見せる姿の描写が痛々しく
あまりにも切ない。

間違いなく日本が誇れる作家の一人である。
ガラクタの訳がない!


今回の世間のウィルス騒動を見て
何と書くのだろう。。
早期の復帰を心から願いたい。

2020年3月6日金曜日

コロナ、コロナ、コロ。。

明けても暮れてもこのウィルスの話題ばかり
である。いい加減、ウンザリきている。


年明けて、この前までは冬とは思えない
暖かさばかりがニュースで取り上げられて
いたが今度はコロナ、コロナ。。



職業柄、在宅勤務、テレワークといった事が
できない。普通に電車で通勤している。
通勤電車の中でも車掌のアナウンスが流れる。

『少しでも混雑を避けてウィルスの蔓延を
    防ぐために時差通勤にご協力下さい。』

実情は、というと、これまでと変わりなく、
電車は混んでいる。
少しは空いたのか?。。
一部の人には失礼な物言いかも知れないが
今回の騒ぎは私も含めて馬鹿げていると
たぶん思っている。

感染して亡くなった方の話は入ってくるが
特別致死率が高いような話も聞こえてこない。


学校は休校になり、
教職員は仕事がなくなり、国が保障する?
#誰のお金を使って?。。
学校が休みになり喜んでいるのは
年小の子供ばかりだ。
自宅に閉じ籠り、ゲーム三昧、または
外で仲間とつるんで親の金を使い遊び放題?

お馬鹿なガキがまた増える。。

なんだか世も末の感がする。

マスクは健常者はしないように、という
話も出てきた。

余計なお世話だ。。

自分は他人からもらいやすい、という
これまでの経験則に則り、毎年この時期は
マスクをしているまでだ。


早くこの騒ぎが収束してくれないものかと
思う。嘘でもいいから、コロナを越える
話題性のある出来事が起きないだろうか。
すぐにコロナの事など皆忘れてしまう。
コロっと。。

、、と、ブラツクな(xx)はさておき、

喘息の薬がコロナの患者に効いたという
ニュースが流れた。
早く決定的な治療薬が見つかって欲しい。

コロナなどきっと恐れるに足らずだ。。


、、と、今度は、、
来週にとんでもない法律の範疇に
今回のウィルスが含まれそうである。

緊急事態宣言。
逆らう事が許されない、御上からの
強制命令。

そんな事を許していいのか?




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

2020年2月22日土曜日

4Gから5Gに

来月の商用サービス開始を控えて
5Gの動きが徐々に活気を帯びて
きたよう。。なのか(?)
段階を踏んで2023年に本格運用が
開始されるという。


3Gの電波もそろそろ停まる。
来年度の半ばには停波されると思って
いた方が良い。


3Gから4Gに乗り換えた際の通信速度の
向上には、なかなか目を見張るものが
あった。

ほぼ15年程前、Docomoが3Gを使った
"TV電話⇔音声電話切り替えサービス"
なるものを世の中に出した事があった。

ちょうどその頃、
Docomoのコアネットワーク内に位置する
交換機サーバの技術開発者として在席して
おり、とてつもなく、
大変な目に会った事は未だに忘れらない。

そうやって苦労して作った割には、
通信速度が遅く映像データをまともに
送る能力もなく、端末の画質も劣悪で、
あっという間に闇に葬られた。

4G LTEになって、"ビデオ通話"に
サービス名称も変わり世の中に再登場。
画質も大幅に改善、、
されたのか?。。


使った事がないので良くわからない。。


音声通話の品質でも大幅に改善されている
事に最近、気が付いた。

毎週末毎に実家の母親に安否確認の意味も
含めて電話をしている。
先日、母が長年使ってきた3Gのガラケーを
水のなかに落としてしまい、携帯が壊れて
しまった。

4Gのガラケーを新しく購入した次の日。

さっそく電話してみると相手の母親の声が
ハッキリ、クッキリ!聞こえる!

ちょっと感動した。

半ば怒鳴るような大声で話さなければ
双方とも声がよく聞こえなかったのが、
リラックスして普通にお話しできるように
なった。


さて5Gになる事によって何が変わるのか。
あまり普段使わないサービスの速度が
上がっても仕方がない。

自分自身がデータ通信従量性の
料金プランに入っており、
ここ半年以上、1ヶ月のデータ通信量が
1Gを越えた事がない。。けちけち参照

キャリアの料金プランも時代に逆行して
いる感がある。
自宅に帰ればWiFiがあるし、職場の休憩
コーナーにもフリーWiFiが置いてある。

まぁ、当分は私にとって4Gで充分、事足り
そうである。
5Gならではの良さが実感として感じられる
ようになったら変えるかもしれない。

でもその時期は当分先の話になりそうである。




寸暇を惜しんで電車の中でゲームや
動画配信に首ったけの、半ば依存症の方には
嬉しい報せなのでしょうが。。

視線が冷やか過ぎですか?。。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

プロコフィエフの音楽

年明け早々、友人が所属している
素人のオーケストラの演奏会を聴きに行った。


曲目はプロコフィエフ作曲のカンタータ
『アレクサンドル・ネフスキー』、
友人を含めてその筋では人気のある曲?
#どの筋?。。

この曲は友人から薦められてアルバムを
購入はしたものの、
正直あまり興味をおぼえる事がなかった。
理由は良くわからない。。
どことなく、だが、自分に合わない。。
長い間、棚にしまわれたままになっていた。



つまり演奏会当日もそれほど楽しみには
思っていなかった。

ところが演奏会当日。
その滑り出しの音を聴いてすぐに
その独特な音の世界に引き込まれた。

お?。。なかなか。。やるじゃん。
#どこか偉そう。。

やはり、生の演奏に限る!
整然としたパーフェクトな演奏CDを
聴くよりも曲の魅力がダイレクトに
伝わってくる!

千葉響音楽監督の山下さんも
コンサート前のプレトークで
言っている。

『CD 2、3枚のお金を出すのであれば、
   生の音を1回聴きに行って下さい。』

最初のコーラス部分でまずは違和感を
感じる曲だったのだが、
特に人の発する声の美しさは段違いに
良い響きで耳に届く。
独唱の方が登場する時の演出も楽しませて
くれた、歌唱力も素晴らしかった。

チャイコフスキーの交響曲の感想は、、
敢えて書かない。
フィナーレの数小節は爆発したねー!


で、その翌日。
プロコフィエフの交響曲第2番、第3番を
続けて自室で聴いている自分がいた。
翌日は作品番号違いの第4番を2曲続けて
聴いていた。

プロコフィエフの交響曲は全集で持っているが、
これまで普段聴く曲は限定されていた。
第1番、5番、そして第6番。
第2番から作品番号違いで何故か2曲ある
第4番までは、2度目を聴く気にはなれなかった。

その趣向が大きく自分の中で変わった。


ロストロポーヴィチ指揮
フランス国立管弦楽団

腰を低く構えて、じっくりと底の方から
爆発させる演奏。

けだし名演だと思うが、きっかけは
やはり年明け早々の友人がいる管弦楽団の
努力のおかげである。

感謝!


それにしても何故これまでプロコフィエフの
曲の好みに偏りがあったのだろう?


『ショスタコーヴィチの証言』に
呪われていたのか?。。

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村