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初盆

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お盆の週に鹿児島に帰省した。 これまでの帰省と比べて気持ちの中で 何かしら欠落した気持ちの帰省だった。 去年の夏までは母親との週一の電話で 親父の様子の話、 母の苦労話、思わず笑ってしまう話、 あれこれ電話で父の様子を聞いた後の 帰省しての父との突然の対面、、 顔を見せた時の父の表情を楽しみに していた。 盆の入りに迎え火を玄関先で焚いた。 自分が火をつけようとしても 近辺をウロウロしている台風の風で なかなか火がつかない。。。 母に頼む。。今度はすぐに火がついた。 『迎え火で全部の薪に火をつけたから  送り火をたく事ができんね。。。』 『だったら、いつまでもここにいれば良か。    原良は父ちゃんの家だがね。』 産みの母も連れて下界に戻ってきてくれた のかな。 来てくれていればいいな、などと思っていた。 母と2人で声を揃えて実家の仏壇の前で 初めてお経を唱えた。 50年程前に産みの母が亡くなった時の 葬式でお経を唱えている間だけ、 お経の声に合わせるようにローソンの火が 激しく揺らめいていた光景は 未だに脳裏から離れない。 今回もそうだった。 2人でお経を唱え始めてから、 こちらに向かって何か物言いたげに ローソクの火が揺らめいていた。 何かこちらに伝えているのかな。 経文を見ると何かしらのマークがついて いる。 その指示の意味がわかればもっとうまく お経を唱える事ができるようになるような 気がする。 唱え始めてから20分程で終わった。 『また1年忌の10月の時に一緒に読もうね』 そういう母からの提案を、 すんなり受け入れられる自分が最近いる。

これから

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親父がいなくなって早1年が経とうと している。 まだ日が浅いせいなのか、週末になる度に 親父との思い出を探している自分が 未だにいる。 この8月で一次遺産相続の手続きも 無事に終ろうとしている。 残された我々に残してくれた想像以上の 資産には改めて感謝しかない。 『今の古い家をうっがす(壊す)お金ぐらいは  残すっで  新しい家でも建てて原良の土地を継いで  いってくれよ!将来は鹿児島の方が  住み良かでしょうがね。』 そう言っていた父を思い出す。 #大切に使わせて頂きます。 確かにたまに帰るには良いところだ。 周りは静かだし、水も旨いし、食べ物も旨い。 でも関東に住み始めて40年が経とうとして いる自分にとって住み良さの点から言うと、、 今の千葉の方が住み良くなってきているかも 知れない。 鹿児島はいつまでも1年に数回帰る場所と してあり続けて欲しい。 でもそんな事叶うわけもないか。。 鹿児島に独り住んでいる母も既に齢80過ぎ。 元気だから100才まで生きていそう? その頃には自分も80才になる。。 80才かぁ。。 たった20年先の将来が全く想像できない。。 母が独りで元気な内は私はこのまま千葉に 住み、母が介護施設に入らないといけなく なったら私も鹿児島に帰郷する。。 果たしてそう物事が単純にうまい具合に 進んでくれるのだろうか? 私の妹はすぐにでも私に帰ってきて欲し そうな事を言う。一方、私の嫁は鹿児島に 帰りたがっていない。 まぁ、そりゃそうだ。。 嫁姑戦争が勃発!、、目に見えている。 うまいアイデアがないものか。。 答が出ない問いかけに独りで頭をぐるぐる させるばかり。  『ベッドに横になる父』   "95てん"   父の最期の肉筆メッセージ

ラーメン屋

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『醤油の細で。あと生にんにくね♪』 最後にお店に行ってこう注文したのは、 いつだったろう。 7月になってもまだ涼しかった折、 土曜日にかみさんが出掛ける用事ができ 『昼は適当にするから、。』 心の中では久しぶりにラーメン屋に行けると いう気持ちでウキウキ。 昼前にお店に向かう。 。。え?あれ?お店は?。。 汚れた白壁の建物だけ残して、中身の お店が無くなっていた。 目の錯覚か?。。 自動車でぐるっ、、もう一周、、、 やはりないものはない。 跡形もなくお店が消え失せていた。 自分の目が信じられず、しばし呆然。。 私にとって最後には必ず帰ってくる味の ラーメン屋。 故郷の鹿児島のラーメン屋よりも 落ち着ける味だった。 後日、googleMapで見ると、 『閉業』 の文字が。 もう大将も引退の時期だったのか。 病気を患ったのではないか、 何かしらの事故に見舞われたのではないか。 愛着が深いお店だっただけに色々と心配を 抱いてしまう。 でも手掛かりはどこにも無い。 ぼつんと、、置いてきぼりにされた気分だ。 これから、こうやって突然の別れが訪れる 機会が増えるのかも知れない。 切ない事だ。